ちなみに唐突にねじ込んだ豆知識は自慢したかっただけだ。

 何がそんなに面白いのか、何で自分はこれが好きなのか、インターネットやテレビの向こう側にいる同好の士はどんなヤツらで他にどういうものが好きなのか。どういう過去を送ってきたのか、とか。 

 何かを面白いと思ったり好きだと思ったりするとき絶対にこう考える人間なんじゃないか?お前らは。違ったらゴメン。でも俺はそうなんだ。

 例えば自分は妖怪が好きだったりする。キャラクターとしての妖怪から、人間の視界の外側、灯りの届かない闇、忘却されたものへの畏れといったどちらかというと本質的な意味での妖怪まで自分は何故か好きになった。じゃあ何故好きなのか。それは恐らくこの世の中にそういう不思議が存在しないより存在していたほうが、あるいは誰もが信じていたほうが面白いし気が楽だからだ。

 妖怪がいた頃、自然や夜の闇、人の心というのは今より少し畏れられてた。「黄昏時」の「たそがれ」は「誰そ彼」が由来で夕暮れには人の顔の識別がつかなかったということらしいがとにかく昔はそれだけ「視えなかった」そして視えないものを「畏れ」た。あえて「畏れ」と書いたがそれは敬いのニュアンスがあるからだ。別に何も神への信仰というほど大仰なものじゃない。そもそも妖怪なんて意味がわからなくてしょうもない。人んちに上がりこんで茶すする奴が総大将だってんだから。でもその意味がわからなくてしょうもない、自然より少しだけ不思議で不気味な存在の前で人は平等に畏れ敬いあえるように思う。今の世の中じゃ大体の不思議は説明できてしまうし、インターネットのせいでどこだって見えるようになってしまった。人は知ることに駆り立てられて知らないことを責められる。それは悪いことじゃないと思うが自分には窮屈で退屈な気がしてならない。自然も人の心も夜の闇も、不気味なまま影に覆われているぐらいの方が俺たちは謙虚で自由で気が楽で、ちょっとだけ”粋”だったりするんじゃないだろうか。